人生を支えた構造

 
 
父方の祖父が亡くなったとき、
僕は高崎のじーじ(そう呼んでいた)の身体を怖いと感じた事を覚えている。
初めての身近な死。
 
 
そして今、青梅のじーじとお別れがきちゃった。
眠ったような顔に、戸惑った。
危篤と聞いていたじーじが、ばばちゃんの横で眠っていた。
大丈夫だったんだと思って座った僕に、ばばちゃんが言った。
「苦しまなかったのよ」って。
 
じーじに会いに来なかった自分を責めた。
 
高崎のじーじが亡くなってから、
父は隣のお寺で骨になったじーじと一緒に寝ていた。
あの頃は、暗いお寺の本堂で寝るなんて考えられなかった。
 
今なら、父の気持ちが分かるような気がする。
 
お正月にはみんなで座る場所にじーじが寝ていた。
ろうそくの明かりを絶やしてはいけない夜。
隣で一緒に寝たいと思った。
 
心の底から沸き起こったその気持ちは、
不思議なれど、素直だった。
 
 
 
人の死をこんなにもきれいなものだと感じたのは初めてだな。
みんなの涙は、じーじの生きた証のように見えた。
 
死ぬというのは何だろうとふと思う。
息をしなくなっても、いろんな表情をしていたじーじ。
うつはずもないのに脈を感じた。
きっとあの時、僕の中にじーじがいたんだろうな。
 
棺に入ったじーじは、亡くなってから初めて不安そうな表情をした。
そして今日、お墓に入った。
 
今日はどんな顔をしてたのかな。
 
 
 
今週、解剖実習があります。
少し複雑な心境。
 
献体をする人の気持ち、その気持ちを受け入れる家族。
僕たちはその気持ちを受け止めなければいけない。
 
人の身体は想像以上に複雑にできています。
病気になるのが当たり前のように思えるくらい。
 
同じ体にも、それぞれの身体がある。
開いた身体から見える臓器や神経、筋肉を見ればその人の人生を想像できる。
 
人生を支えた構造。
それが身体なんだ。
 
それを学ぶのが解剖学なんだろうなって思ったよ。
うつはずもない拍動。
それでも確かに感じたその音と振動を、
僕は忘れない。
 
 
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